元宝塚歌劇団星組トップスターで、退団後も大女優・タレントとして幅広く活躍した寿美花代(すみ・はなよ、本名:髙嶋節子)さんが、2026年8月3日に94歳で亡くなられていたことが分かりました。
かつては夫の故・高島忠夫さんとともに料理番組『ごちそうさま』の司会を25年間にわたって務め、国民的な“おしどり夫婦”として親しまれた寿美さん。晩年はメディア露出を控え、穏やかな日々を送られていたと伝えられています。
「突然の訃報だけど、死因は何だったのだろう?」 「近年はどんな闘病生活を送っていたの?」 「施設に入居していた噂や、最期の様子は?」
今回は、寿美花代さんの気になる死因をはじめ、近年の施設での闘病生活、最期の様子、そして宝塚時代から続く華々しい経歴について詳しく調査しました。
寿美花代の死因は?
事務所の公式発表によると、寿美花代さんの死因は「老衰」です。2026年8月3日に94歳で静かに息を引き取られました。
大きな事件や急な病気によるものではなく、加齢に伴い身体機能が徐々に低下していった末の自然な旅立ち(老衰)であったと公表されています。
影で続いていた「誤嚥性肺炎」との闘い
死因自体は老衰と発表されていますが、ここ数年の寿美さんは「誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)」による入退院を何度も繰り返していたことが明かされています。
高齢者の場合、筋力や喉の機能(嚥下機能)が低下することで食べ物や唾液が誤って気管に入り、肺炎を引き起こすケースが非常に多く見られます。寿美さんも数年前から食べ物や唾液を上手く飲み込むことが難しくなっており、その都度病院での治療を受けながら、体に負担をかけないよう穏やかに療養を続けておられました。
最期は苦しむことなく、眠るようにやすらかな表情で旅立たれたとのことです。
寿美花代の施設での闘病生活や入退院を繰り返した最期の様子
1963年の結婚以来、長年にわたり家庭を支え続け、夫・高島忠夫さんの10年以上に及ぶ在宅介護も献身的に担ってきた寿美花代さん。忠夫さんが2019年6月に88歳で他界されて以降、寿美さんの生活環境や近況はどのように変化していたのでしょうか。
世田谷の大邸宅を離れ、高齢者施設へ入居
忠夫さんが亡くなられた後、寿美さんは長年暮らした東京都世田谷区の大邸宅を離れ、都内の手厚い介護ケアを受けられる高齢者施設に入居されていました。
かつては「高島ファミリー」の象徴とも言える大邸宅で夫の介護と家庭を仕切っていた寿美さんですが、ご自身も80代後半を迎え、体力的な面や安全性を考慮してプロの手によるケアを選ばれたとされています。施設では静かで穏やかな時間が流れており、プライベートを守られながら丁寧な生活サポートを受けておられました。
施設での生活と最近の様子
施設での生活が始まってからは、少しずつ日中も眠っている時間が増えていったと言います。
2026年7月に放送されたテレビ番組のトークコーナー等でも話題に挙がっていましたが、ご家族が施設へ面会に訪れた際、普段は静かに目を閉じている寿美さんが「パッと目を開けて喜んでくれた」といった微笑ましい近況が明かされていました。
体が衰えていく中でも意識の奥底ではしっかりとお返事をし、周囲の声かけに対して暖かく応えようとされる姿勢は変わらなかったようです。
病院スタッフも驚く「声量」と大女優としての気品
誤嚥性肺炎による入退院を繰り返す闘病生活の中でも、周囲を驚かせるエピソードがありました。
入院中、時折見せるその「声の張り」や「声量」には、病院関係者や看護スタッフも驚くほどだったと言います。宝塚歌劇団のトップスターとして劇場の隅々まで声を届けていた発声の基礎と鍛錬は、90歳を超えてなお身体に刻み込まれており、「最期まで大女優・寿美花代であり続けた」ことを物語っています。
最期の瞬間は歌声に包まれて
最期の瞬間、寿美さんは大好きだった音楽の歌声が流れる中、見守られながら旅立ちました。
嚥下(えんげ)機能が落ちて呼吸が苦しくなる時間帯もありましたが、痰が流れるとすっと穏やかな表情に戻り、安らかに眠りにつく――そんなサイクルを繰り返しながら、最期は美しく凛とした表情のまま、眠るように息を引き取られたということです。
葬儀は2026年8月6日の午前、都内の斎場にて家族葬として執り行われ、静かに見送られました。
寿美花代の経歴

- 名前:寿美 花代(すみ はなよ)
- 本名:髙嶋 節子(たかしま せつこ)
- 生年月日:1932年2月6日
- 没年月日:2026年8月3日(享年94歳)
- 出身地:兵庫県西宮市
- デビュー:1948年(宝塚歌劇団入団)
- 主な実績:宝塚歌劇団星組男役トップスター、日本テレビ『ごちそうさま』司会(25年間)
1932年(昭和7年)、兵庫県に生まれた寿美花代さん。1948年に35期生として宝塚歌劇団に入団しました。宝塚時代の芸名「寿美花代」は、祝辞などで用いられる「寿美(すみ)花代(はなよ)」に由来しています。
端正な容姿と華やかなオーラ、圧倒的な歌唱力と表現力で瞬く間に頭角を現し、星組の男役トップスターとして絶大な人気を誇りました。当時のブロマイド売上ランキングで1位を獲得するなど、昭和の宝塚黄金期を象徴するスターとしてファンを魅了しました。
1961年、テレビ番組の収録現場で俳優の高島忠夫さんと出会い交際に発展。2年間にわたる交際期間を経て、寿美さんからのプロポーズをきっかけに1963年に宝塚歌劇団を退団し、同年に結婚しました。
結婚後は家庭に入りつつもタレントとして活動。特に1971年1月から1996年3月までの25年間にわたり、日本テレビ系の昼の料理番組『ごちそうさま』で夫の忠夫さんとともに司会を担当。夫婦の仲睦まじい掛け合いと温かい雰囲気がお茶の間で大人気となり、全国的な「おしどり夫婦」として認知されました。
1998年に忠夫さんがうつ病を発症した際は、自らも表舞台での活動を控え、自宅で約10年間にわたる献身的な介護を継続。家庭の危機を何度も乗り越え、妻として、そして母親として家族を支え続けました。2019年に忠夫さんが逝去した後は静かに余生を送り、2026年8月、多くの人々に愛された94年の生涯に幕を下ろしました。
まとめ
元宝塚トップスターで女優の寿美花代さんの訃報について、気になる死因や近況、最期の様子をまとめました。
- 死因:老衰(享年94歳)。近年は誤嚥性肺炎による入退院を繰り返していた。
- 近況:高島忠夫さんの逝去後、世田谷の自宅を離れて都内の高齢者施設に入居し療養。
- 最期の様子:好きな音楽が流れる中、穏やかで美しい表情のまま自然に息を引き取られた。
宝塚の舞台で一世を風靡し、退団後はお茶の間の顔として、そして夫を支える強い妻として時代を駆け抜けた寿美花代さん。大女優としての気品を最期まで失わなかったその生き様は、これからも多くの人々の記憶に残り続けることでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。

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