先日、8月31日(土)から9月1日(日)にかけて放送された日本テレビ系「24時間テレビ47」。
お笑いタレントのやす子さんが81キロマラソンを完走させて話題になりました。
24時間マラソンの途中、左足首を痛めて苦しむやす子さん。
そのやす子さんを応援する為に駆け付けた、俳優の古原靖久さんに注目が集まっています。
本日は俳優の古原靖久さんについて調べてみました。
古原靖久の生い立ち
1986年8月13日、古原さんは京都府京都市の左京区北大路に誕生されました。
4歳の時に両親が離婚をされています。
両親の出会いは父親が20歳過ぎ、母親が15歳の時でディスコで出会った二人。
古原さんの父親は出会った当時、古原さんの母親を15歳とは思わなったとの事。
その後2人は交際がスタート。
父親は当時、母親以外の女性とも交際をしていたそうです。
ほどなくして母親は15歳で古原さんを妊娠されます。
古原さんの両親は、古原さんの祖父母から結婚を反対され、両親は駆け落ちをされます。
その後古原さんが誕生するも、両親は毎晩夫婦喧嘩の繰り返しだったそうです。
4歳の時に関係が悪化しついに離婚。
お母さんが古原さんを引き取り、東京で母親と2人で生活がスタート。
母親は夜の仕事をしながら生活費を稼ぐ日々。
しかし、古原さんの母親は当時20歳。
一人で回りの援助もなく育てるに事に限界を感じ、養護施設に古原さんを預けることにします。
養護施設に入所
養護施設に入所した当初、古原さんは一時的な預かりですぐにお母さんが迎えにくると思い込んでいたそうです。
しかし一向に迎えに来ない母親。
1,2カ月後にようやく施設に面会に来た母親でしたがこの時、古原さんはこの施設で生活していくことを知って絶望されます。
施設の先生も厳しく、地獄の日々が待っていたそうです。
小学5年生まで肉を食べれない
小学校5年生くらいまでは肉を食べたくても上級生から全部肉をとられたそうです。
年齢順でホットプレートで食べ物を焼くスペースも決まっていて、狭いスペースの中で重ねて焼く事になるので生焼けでお腹を壊すこともあったとか。
そのおかげ?で大人になった現在、お腹が強くなり病気もしない強い体になった!と古原さんは当時を振り返ります。
当時施設を知らな人からは、学校みたいで楽しそう!と言われることがあったそうです。
しかし、古原さんにとっては日々をどう生き延びるか!という事に集中していたとの事。
肉を養護施設で食べれない為、肉は給食で食べていたそうです。
喧嘩の一番強いやつがえらい
みんなの前で喧嘩をして勝った方が上と認められるルールだったとの事。
大人になって海外ドラマ「プリズンブレイク」を見ているときに養護施設時代と全く同じと感じた古原さん。
無罪の罪で死刑判決を受けた兄を助けるべく、わざと罪を犯して兄と同じ牢獄に入り兄弟で脱獄を計画するドラマですね。
ドラマの中で牢獄の中で荒くれもの同士争うシーンを、古原さんは自身の経験を重ね合わせていると考えられます。
週末里親制度
月に1~2回程度、週末などを利用してボランティアの里親家庭で過ごす制度
当初、知らない人が親のように接してくるのは嫌だと感じていた古原さん。
動物園に連れて行ってもらうなど、古原さんの里親家庭はすごくいい方々でずっとこの里親制度を続けたいと思うようになったそうです。
小学3年生から6年生頃まで里親制度は続いたそうですが、里親家庭のおばあちゃんが体調を崩したりして終了になりました。
面会に母親が全く来なくなった
養護施設に入所してから1か月~2カ月の感覚で古原さんの面会に来られた母親。
しかし古原さんが小学5年生に進級した頃、母親は半年に一度面会に来るかどうかのペースに。
もっと母親に会いたい気持ちが湧く古原さんは、子どもながらお金を半年程かかって貯めて母親が住む東京武蔵小金井まで電車で向かいました。
母親が帰って来るまで家の扉の前で夜中12時頃まで待ち続けた古原さん。
帰ってきた母親を見て、帰りたくない!と泣き続けたそうです。
その日は母親のアパートに泊まり、翌日一緒に不二家のカレーを食べに行かれます。
その時食べたカレーが本当に美味しかったそうで、その時に母親が「今は迎えに来れないけど必ず迎えにくるから」と言われたそうです。
その言葉を信じた古原さんでしたが、小学5年生が母親と会う最後の機会となりました。
その後、成長するにつれて親に捨てられたことを恨む古原さん。
芸能人になっても芸名ではなく、本名を通しているのは母親に元気にしているよ!とメッセージを送る為との事です。
捨てた父親と再会
母親が面会に来なくなって数年後、中学2年生になった古原さんは4歳ぶりに父親と会う事になりました。
その時父親は再婚相手の女性と一緒に面会に来られたそうです。
父親の再婚相手の女性は、当時母親と同じ時期に交際していた女性でした。
再会後、今まで会わなかった分を厳しく指導する父親と衝突。
結局、父親の事が嫌いになり最後は喧嘩をして以降父親と会っていないとの事でした。
母親が他界
亡くなる数年前から病に苦しんでいたそうで、2019年に病気で母親が他界されます。
母親が亡くなって1年後に知らせを聞いた古原さん。
母親が持っていた写真を母親の姉から頂いたそうです。
子供の頃からほとんど会っていなかった為、亡くなったという現実感が全く湧かなかったそうです。
古原靖久プロフィール
- 名前:古原靖久(ふるはら やすひさ)
- 生年月日:1986年8月13日
- 年齢:38歳(2024年9月時点)
- 出身地:京都府京都市左京区北大路
- 身長:180cm
- 血液型:O型
- 趣味:ウォーキング
- 特技:料理
- デビュー:2005年
- 所属事務所:フリーランス
中学生の頃からそのルックスから道端でスカウトされる事があった古原さん。
高校に進学すると渋谷・原宿を歩けばスカウトマンから声をかけられる事もかなり多くなったそうです。
養護施設で育った為、スカウトマンに対しても不信感を持たれていたそうです。
高校と同時に養護施設を出ることになった古原さん。
施設を出るには条件があって、仕事を辞めた際に施設側は次の仕事を斡旋しないといけないという決まりがあるとの事。
問題児とされていた古原さんが仕事を辞めないよう施設側は、新聞配達の住み込みの仕事を準備していました。
何とか新聞配達の仕事を避ける方法を考えた古原さん。
その時思い出したのが以前から数々の芸能界のスカウト。
そこから芸能事務所に連絡してそのまま芸能界の道へ進む事になりました。
野ブタ。をプロデュースで俳優デビュー
2005年10月日本テレビ放送「野ブタ。をプロデュース」で俳優デビューをされた古原さん。
和久井拓三役で出演されています。
こちらは先日調べた俳優の大東駿介さんも出演されていますね!
炎神戦隊ゴーオンジャーで主演
2008年2月放送開始スーパー戦隊シリーズ「炎神戦隊ゴーオンジャー」で江角走輔役・ゴーオンレッド役で初の俳優の主演を演じました。
戦隊シリーズといったらイケメンが演じるのが定番ですよね!
以降もイケメン高身長を活かし、テレビや映画や舞台と多岐に渡って長年活躍されています。
現在はフリーで自身のYouTubeチャンネル運営も
2022年からフリーとして活動されている古原さん。
自身のYouTubeチャンネルも定期的に更新され、自分にあったスタイルで現在仕事をされています。
過酷な生い立ちから芸能界で主演を務める等、見事に人生の逆転を成し遂げられています。
古原さんの境遇が、少し同じ野ブタに出演した大東駿介さんとダブってしまう所があります。
古原靖久さんの今後の活躍に期待します!
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